【上田市周辺】華の早慶戦。上小エリアとの縁は映画「ラストゲーム 最後の早慶戦」のロケだけではありません。
学生野球の華とも呼ばれる早慶戦が、2025年5月31日と6月1日に行われます。その早慶戦について、今回は上小エリアとのかかわりを3つ、紹介いたします。
◆野球殿堂入りしている郷土の偉人
1903年から始まった華の早慶戦。記念すべき第一回のとき、慶応義塾大学(以下慶大)野球部の主将を務めていたのは、今の青木村(当時は田沢村)出身の宮原清さんでした。
長野県中学上田支校(今の上田高校)在学中には、野球部の創設に参加。慶大に進み、同野球部の発展に尽力された宮原さん。1949年には初代の日本社会人野球協会長に就任。後に野球殿堂入りもされました。
◆上田城跡公園野球場で開催された早慶戦
「ラストゲーム 最後の早慶戦」のロケ地となった、今の上田城跡公園野球場で、現役大学生チームを招いての早慶戦がかつて行われたことはご存知でしょうか。
上田市出身の堀場秀孝氏が故郷に錦を飾った試合です。1974年に阪急の1位指名を蹴った江川卓氏らと受験合宿を行って、一緒に慶大を受験。一浪して慶大に入学後は、1年生の春からスター選手として活躍しました。
上田市の三田会(慶大のOB会)関係者様に確認したところ、当時の記念の品々が(個人所有ですが)残っているそうです。
◆「ラストゲーム 最後の早慶戦」は幻になる寸前だった
当時をご存じの長和町の関係者様から伺ったエピソードです。
「ラストゲーム 最後の早慶戦」製作は、計画段階で頓挫寸前に。戦前の早大戸塚球場としてロケができるような古い球場を、担当者が全国で探したものの、条件に合う場所が見つかりません。
別荘のある長和町で、友人知人とパーティーを楽しんでいた神山監督のもとに「映画は作れそうにない」との残念な知らせが入りました。
その場にいた地元のメンバーから「上田城跡公園の野球場はどうなの?」という提案が。早速、翌日に関係者が上田に駆け付けてきて、「まさにうってつけだ!」となったそうです。
当時の撮影関係者様から、ロケの総合スケジュール表を見せていただく幸運に恵まれましたので、次回は「どこよりも詳しい」ロケ地紹介をいたします。お楽しみに。
なお記事中のロケ関連画像のいくつかは、別所温泉の日野出食堂様にご協力をいただきました。ありがとうございました。
上田城跡公園野球場はこちら↓